小谷実可子が勝てなかった天才スイマー伊東恵さんは今?なぜやめた?

16日のTBS系列で放送予定の「消えた天才」ではソウルオリンピックで日本シンクロ界初のメダルを獲得した小谷実可子さんがかつて勝てなかった「天才スイマー」が取り上げられます。

22歳で表舞台から姿を消した「天才スイマー」とは誰なのでしょうか?

ここでは消えた天才スイマーと小谷実可子さんにスポットをあててご紹介します。

小谷実可子のプロフィール

まず最初に小谷実可子さんのプロフィールからご紹介します。

小谷実可子

・本名    杉浦 実可子(すぎうら みかこ) 旧姓 小谷 実可子

・出身校   日本大学文理学部

プロフィール

元スポーツ選手/アーティスティックシンクロコーチ/スポーツコメンテーター

1966/8/30生まれ

おとめ座

A型

東京都出身

家族構成

夫 子供2人

引用 goo

1988年のソウルオリンピックでは日本選手団の旗手をつとめ、競技ではソロ、デュエット共に3位に輝くなど大活躍しました。

この時のデュエットでは田中京さんとのコンビでした。

「消えた天才」は田中京さんの前のパートナーという事になります。

消えた天才は伊東恵さん

田中京さんの前のパートナーという事で探していましたら見つかりました。

その人の名前は「伊東恵」さんといいます。

伊東恵さんのプロフィール

・氏名    伊東恵(いとう めぐみ)

・生年月日  1966年3月6日

・出身地   東京都

・出身校   和洋九段女子中学校・高等学校-青山学院大学

5歳から水泳を、そして8歳(小学校2年時)からアーティスティックスイミング競技(シンクロ)を始める。

1985年、1学年下の小谷実可子さんと組み、パンパシフィック大会のデュエットで優勝。

1985年・1986年、同じく小谷さんと組み、日本選手権のデュエットを連覇。

1986年の世界選手権デュエットでは、銅メダルを獲得しています。

まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

ソウル五輪

ソウル五輪選考会を2位で通過し、小谷実可子さん、田中京さん(現:田中ウルヴェ京)と共に、ソウル五輪代表3名に選ばれ、大会に参加しました。

しかし、現地での予選の成績上位順によって、決勝に出るデュエット2人を直前に選ぶのがチームの方式であり、成績が3番目だった伊東さんの決勝出場は叶わなかったのです。

伊東さんは技術面では小谷さん、田中さんよりも技術的にには上だったのですが

同調する力という点で田中さんに劣っていたようです、

日本代表は、小谷さんがソロで、小谷・田中ペアがデュエットで、合計3つの銅メダルを獲得しました。

しかし、伊東さんはメダルを手にすることはできませんでした。(シンクロの場合は、補欠選手にもメダルが授与されるバレーボールや野球などと違っていました)。

伊東さんは、この五輪を最後に引退したのです。

 

メダルよりも大切なもの

実は 伊東恵さんはソウル五輪を控えた1987年11月から約5か月間、カナダのカルガリーにある名門クラブに単身留学をしていました。

その時、コーチからかけられた言葉に思わず振り向き、聞き直したというのです。

その言葉とは、「メグ、思いきり楽しんできて!」

何気ない、ただの励ましに大きなショックを受けたそうです。

8歳でシンクロナイズドスイミングを始めて以来、初めて聞いた言葉だったそうです。

「英語でしたが、本当にエッ、と驚きました。なぜなら、日本では楽しむなどという言葉を聞いたことがなかったのです。演技に出る瞬間まで、ここと、あそこに注意して、間違えちゃだめよ、と。
ですから、あの一言で、身も心も本当に軽くなり救われたことを覚えています

今は、選手自身が「楽しみたい」と公言する時代だが、当時の日本のスポーツ界では、そんな言葉は日常のものでありませんでした。

シンクロは当時、女子種目の目新しさと華やかさから注目されていました。

しかもメダルだけを期待された中で彼女たちが背負っていたものは、水中でさえ軽くなるようなものではなかったのだといいます。

伊東さんは留学中、カルガリーの街で黒地にえんじ色の模様が入ったシンプルな水着を購入し、小指の先ほどの小さなスパンコールを、何百個も手製で水着に縫い付けたそうです。

ひとつ、ひとつ、まるで自分の心を紡ぐように。
「この留学がなかったらどうなっていたかわかりません。辛いこと、気持ちの変化、楽しもうと演技したこと、すべてが詰まっています。シンクロをしていた自分にとっては一番大切な水着です」
メダルよりも? 伊東は笑った。
「ええ、メダルよりもずっと」
3人で臨んだソウル五輪、デュエットで補欠になった伊東は、銅メダルを手にすることはなかった。
「メダルを手にできなかったメダリスト」である

引用 婦人公論

カナダ留学する前は過熱する周囲の声や過酷なダイエットなどで心身ともに疲労困憊だったと言います。

カナダ留学してからは「純粋にシンクロを楽しむ」という意識に変わっていったと言います。

そのためソウル五輪で出場できなかったことはそれほどのことではなかったという事です。

シンクロを嫌いにならないで欲しい

小谷さんがバルセロナオリンピックで補欠になってしまった時に、伊東さんは空港に駆け付け

「シンクロを嫌いにならないで欲しい」と書いた手紙を手渡したといいます。

自身の経験と照らし合わせて小谷さんにエールを送ったんですね。

まとめ

シンクロの黎明期を小谷実可子さんと共に支えた「消えた天才」伊東恵さん。

ソウル五輪では補欠の辛酸をなめましたが

カナダ留学の経験から傷ついた小谷実可子さんを励ますなど

人間的には大きく成長を遂げましたね。

人を思う心には心を打たれます。

この文章を読んで頂いてありがとうございました。

 

 

 

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