16日にTBS系列で放送予定の「消えた天才」。
今回この「消えた天才」に取り上げられる予定の、元木大介さんのチームメイトが気になりました。
この天才投手は「宮田正直」さんではないでしょうか?
平成元年のセンバツ高校野球で優勝を十中八九手にしていたにも関わらず惜しくも惜敗した上宮高校のエースです。
今回はこの「宮田正直」さんにスポットをあててご紹介します。
https://youtu.be/PQwcxSRiAfo
元木大介時代のエース
番組HPの抜粋です。
野球の超名門!元木大介や黒田博樹を輩出した大阪・上宮高校で、 “史上最高の逸材”と呼ばれた「天才ピッチャー」がいた。
しかしその後プロの世界で活躍することはできず…。しかもその天才は、「ある大切なもの」を失ってしまう“アクシデント”に遭ってしまうことに…。
元チームメートの元木大介が本人を直撃。涙ながらに“アクシデント”を初告白!出典 TBS番組HP
元木さんは、1988年(昭和63年)春、1989年(平成元年)の春夏の甲子園に出場し、
ホームラン6本を放つ大活躍をしてプロに進み活躍しました。
その時代のエースが消えた天才「宮田正直」さんです。
平成元年の上宮高校は元木さんがキャプテンでショート。
1学年下の宮田さんがエースでした。
下の動画が1989年のセンバツの最後の場面です。
https://youtu.be/MLBfKyXRvFY
Contents
消えた天才「宮田正直」
1989年時の上宮高校は元木さん宮田さんを始めそうそうたるメンバーが顔を並べていましした。
画像 http://nekoneko-mvd.cocolog-nifty.com/blog/
このメンバーのうち4人(元木、種田、小野寺、宮田)がプロ入りしている世代最強と言っても過言ではない豪華メンバーです。
そして、宮田さんですが中学生のボーズリーグ在籍時より注目を集めていて
宮田さんより2つ上で、宮田さんを上宮高校に引っ張った光山英明さん(元近鉄 光山英和さんの弟)によると
「当時、宮田の投げる試合は、いつも仰山のお客さんが集まった。高校のスカウトも、PL(学園)とか近大(附属)とか、あのころの強豪校がいっぱい見にきてました。30校から40校いたかな」
といった具合に凄いピッチャーだったんです。
元木さんも
「宮田がセレクションを受けにきたとき、1ヵ所打撃で投げたんだ。その球を打席で見たら、速やっ!速ええ!って感じ。そのとき、もう絶対にウチに来てくれって思った。
宮田が来れば甲子園で優勝できるぞって」
このように語っているほどのピッチャーです。
失った「ある大切なもの」
この宮田さんが失った「ある大切のもの」とは一体何でしょうか?
宮田さんは上宮高校卒業後にドラフト外で当時の福岡ダイエーホークスに入団しています。
5年間選手として在籍しましたが、1軍登板がないまま引退してバッティングピッチャーを務めます。
このバッティングピッチャー時代に悲劇が起きるのです。
1999年の3月に試合前のバッティング練習中に打球が頭部を直撃して「外傷性クモ膜下出血」と後遺症である「高次脳機能障害」を発症してしまうのです。
それ以来、過去の記憶を断片的にしか思い出せないという症状が出てしまったのです。
今、宮田さんには輝かしい高校時代の記憶がほとんどない状態です。
宮田さんは今
宮田さんは今、福岡ソフトバンクホークスでチーム付きスコアラーとして働いています。
主にバッテリーのため、相手打者の癖や傾向を観察、分析し、データを選手に伝えるのが宮田さんの仕事です。
緻密なデータを収集し、相手選手のかすかな癖などを見破りデータとして選手、コーチ陣へ届けています。
緻密な仕事ぶりにはチームメイトの信頼も厚いのですが
肝心の本人が輝いていた時代の記憶がないのです。
元木さんは
「何とか取り戻してほしいよ、宮田が一番輝いていた甲子園の記憶を」
と言っています。
本当に何とか取り戻して欲しいですね。
まとめ
黄金時代の上宮高校のエースとして活躍した「宮田正直」さん。
不慮の事故により輝いていた時代の記憶を失ってしまった事は本当に気の毒な限りです。
番組では「涙ながらに”アクシデント”を初告白」とあります。
何か新事実がありそうですので、番組で確かめてみたいですね。
この文章を読んで頂いてありがとうございました。