訃報ダイナマイト・キットさん死去。内藤哲也は永遠のプロレス少年。

プロレスの話題です。

→12月5日訃報です。

イギリス出身の元プロレスラー、ダイナマイト・キッドさんが亡くなったことが5日、分かった。イギリスの複数メディアが報じた。

 死因は不明。ここ最近は、多くの健康問題を抱えていたという。

 1980年代、日本のリングでも活躍。初代タイガーマスク藤波辰爾と名勝負を繰り広げ、日本でも人気を集めた。

引用 ディリースポーツ

隆盛を誇っていたプロレス界ですがついちょっと前は丁度端境期というかスター不在で客席には閑古鳥が鳴いていた時代がありました。

そうした中、現れたのが棚橋弘至選手。

棚橋選手の登場で一気にプロレス人気もV時回復というところですが

今棚橋選手以上に人気、注目を集めている選手がいます。

その選手の名は「内藤哲也」

今晩の「NHK仕事の流儀」出演の”永遠のプロレス少年”「内藤哲也」にスポットをあてて

ご紹介します。

内藤哲也選手のプロフィール

↑挑戦権利書を手にする内藤選手

画像 https://getnavi.jp/sports/202019/

・本名      内藤 哲也(ないとう てつや)

・ニックネーム  制御不能なカリスマ

・身長      180cm

・体重      102kg

・生年月日    1982年6月22日(36歳)

・出身地     東京都足立区東島根

・出身校    足立区立東島根中学校ー都立足立東高校

・所属      新日本プロレス

・スポーツ歴   野球、サッカー

・トレーナー   アニマル浜口

・デビュー    2006年5月27日

少年時代

プロレス好きのお父さんの影響で小さい頃から自然とプロレスを見るようになり、学校の教室ではプロレスごっこで遊んでいた内藤少年。

お父さんは基本は放任主義でしたが「人との約束は守れ」ということだけはよく言われ、学校の宿題を怠った時にお父さんからは「宿題っていうのは先生との約束だろ?」と叱られたそうです。

人との約束には厳しいお父さんでした。

幼稚園の年中から高校3年まではサッカーを中心に活動。

中学時代は野球とサッカーを掛け持ちしながら両方ともキャプテンを務めていました。

プロレス初観戦は5歳の頃、幼稚園児の頃から1人で電車に乗れた内藤は、仕事帰りのお父さんと会場の最寄駅で待ち合わせて、プロレス観戦に行ったらしいです。

お父さんは内藤選手に対して、アントニオ猪木をさん付けで呼ぶように教えていました。

そんなこともあって内藤選手は、実際にプロレスファンというよりも”新日本プロレスファン”でした。

初めて自分でチケットを買って見に行った1997年6月5日の日本武道館大会にて、

「これがお客さんの前でできてお金もらえるなんて、こんないいものはない」と思い、

プロレスラーになることを決意したという事です。

筋金入りの新日ファンの内藤選手でした。

プロレスデビュー

高校3年の夏に最後の大会を終えてサッカー部を引退した後、2000年9月にアニマル浜口トレーニングジムに通い始めた内藤少年。

「そろそろ新日本の入門テストを受けよう」と思い始めた矢先、

2002年にジムでのスパーリング中に右膝前十字靭帯断裂、全治9か月の重傷を負ってしまい、同年の入門テスト受験を断念せざるを得なかったらしいです。

辛かったでしょうね。

そんなこんなで3年連続で入門テスト受験のチャンスを逃した内藤選手でしたが2

005年11月3日、後楽園ホールにて行われた入門テストにようやく参加して

遂に合格を果たした内藤選手。

12月1日に新日本に入寮し、晴れてプロレスラーとなりました。

メキシコで大ブレイク

プロレスラーとしてデビューした内藤選手ですが当初は中々人気が出なくて苦労の連続でした。

それが2015年5月のメキシコ遠征の際、現地でラ・ソンブラやルーシュらのユニット“LOS INGOBERNABLES”(ロス・インゴベルナブレス)に加入。

それがブレイクのきっかけでした。

思い悩んでメキシコに渡ったんです。向こうで当時、すごく勢いのあった「ロス・インゴベルナブレス」というユニットに誘われて。彼らがやっていたプロレスは、まわりの目を一切気にせず、自分たちが表現したいことをそのままリング上で表現するというスタイル。そのイキイキとした姿を見たときに、「せっかく海外に来たんだし、自分もまわりを気にせず、やりたいプロレスを表現してみよう」と思ったんです。

これで変わりました内藤選手。

メキシコから帰国後の同年11月、ユニット“ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン”を結成します。

これからです大ブレイクは。

ビックリするぐらい伝わった

メキシコで掴んだ内藤流プロレス。

僕はメキシコでプロレスの楽しさを再認識して、「これをメキシコだけで終わせるのはもったいない」と思ったんです。「これを日本でもやってみよう。伝わらなかったら、もうプロレスラーとして終わるかも知れないけど、試してみよう」という覚悟で帰国しました。

これから大ブレイクして一気にスター選手へ駆けのぼりました。

カープファン

人気絶頂のプロレスラーとなった内藤選手。

実は大のカープファン。

プロレス界きってのカープファンを自称しているます。

かつて合宿所に住んでいた頃、部屋には広島カープのグッズが所狭しと飾られており、

ロス・インゴベルナブレス加入以前に着用していた赤と白を基調としたコスチュームも「カープカラー」をイメージしたものとされています。

現在もファンクラブに入会していて、シリーズの合間を縫っては観戦に訪れており、広島市民球場の取り壊しに伴う公式戦最終試合開催日にもライトスタンドから観戦していた筋金入りのカープファン。

レスラー引退後には広島移住も視野に入れており、「マツダスタジアムの年間シートを購入して、毎試合観戦してみたい」と将来に対する展望について語っています。

2017年には、球団歌『それ行けカープ』の2017年バージョンの映像に、田中広輔の2016年からの背番号「2」が入ったビジター用ユニフォームを着用して歌唱参加までしています。

また、2017年8月27日のマツダスタジアムでの中日ドラゴンズ戦において初の始球式も行ったています。
2018年よりカープの応援歌(チャンステーマ)に内藤の入場曲の一節が取り入れられています。

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まとめ

永遠のプロレス少年内藤哲也選手は中々人気が出なかったですが

メキシコ遠征で変わりましたね。

「人の目を気にせず自分のやりたいプロレスをやる」

この気持ちになったことで変わりました。

やはり、素直に自分を表現する事ですね。

「自分の想いをストレートに表現する」

これです。

この文章を読んで頂いてありがとうございました。

 

 

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