松坂大輔より上、上地雄輔が憧れた投手は「消えた天才」丹波慎也?

明日18日TBS系列でPM7:00~放送予定の「消えた天才」に松坂大輔をもしのぎ、

松坂投手の1学年上の上地雄輔が今も憧れる天才投手の故丹波慎也さんが

取り上げられる予定です。

ここでは今は亡き「丹波慎也」さんにスポットをあててご紹介します。

「消えた天才」

 スポーツ名門校 NO,1の天才SP 

◆ プロ輩出NO,1! 横浜高校・松坂大輔よりスゴイ歴代最高の天才ピッチャー
“平成の怪物”松坂大輔や侍JAPANの4番 筒香嘉智などプロ野球に数々のスタープレーヤーを輩出してきた高校野球の超名門・横浜高校で、歴代最高と評された投手が高校2年生の夏、突然姿を消した。そして奇跡の甲子園…衝撃のラストに…天才の後輩・上地雄輔、号泣…。

引用 TBS番組HP

明日18日放送の「消えた天才」の番組HPをみると上のような文字が躍っています。

上地雄輔が今もなお憧れ続けるその天才ピッチャーの名前は「丹波慎也」。

高校2年生の時に突然心筋梗塞でこの世を去った幻のエースです。

https://youtu.be/2iHbymBTWHY

丹波慎也選手とは

プロフィール

丹波慎也(たんば しんや、1978年? – 1995年8月17日)

身長184cm、体重82kg。

横浜高校野球部歴代No.1選手と言われる。

渡辺元智・元監督が「50年の指導歴の中でナンバーワン」と語ったほどの選手です。

横浜高校では1年の夏から背番号11でベンチ入りし夏の甲子園に出場しています。

その時のクリーンアップは、番斉藤宜之(巨人)、4番紀田彰一(横浜)、5番多村仁(横浜)が

揃って高校からプロ入りするというそうそうたるメンバーの中で1年からベンチ入りです。

上地雄輔が憧れを抱いた瞬間

丹波投手は甲子園での登板はありませんでしたが、夏の予選は登板を果たしています。

この年の神奈川県予選・準決勝で横浜商工高(現:横浜創学館高)との試合に登板していますが、この試合をテレビで見ていたのが上地雄輔さん。

かつてのチームメイト(先輩)が多く出場していた横浜商工高の応援をするはずだったのが、

横浜高校のピンチで終盤に出てきた背番号「11」の投手の投球に目を奪われてしまうのです。

その「背番号11」こそが丹波慎也選手。

横浜のピンチを快刀乱麻を断つピッチングで救い、続く2回も投げて圧巻の投球。

上地さんは

「試合なんてどうでもよく」なり「この人の球を受けてみたい」

と思うようになる。

観ていたテレビで解説者が

「渡辺監督が『ピッチャー、今年はいい子が入りましたから楽しみですよ』と言っていたのがこの丹波なんですね」

と言っているのを聞いて、丹波選手が一年生である事を聞いて二度びっくりしたそうです。

上地さんは当初、常総学院(茨城)に進学する予定だったのを

この丹波投手の快投に魅せられた結果、急遽横浜高校に進路変更したそうです。

それだけ衝撃的だったんですね。丹波選手は。

画像 スポニチアネックス

上地雄輔が語る丹波選手のエピソード

上地さんが語った丹波選手のエピソードをご紹介します。

上地が選手入った横浜高校の各学年にひとつづつある「体育クラス」(要するにスポーツ推薦枠のクラス)は、

スポーツ・格闘技しかできないヤンキーみたいな男の集まりだったそうなんですが、他の部活で入った生徒も丹波選手の評判でもちきりだったそうです。

上地さんが初めて出場した練習試合は横浜商工高で相手投手は中学時代に上地さんがバッテリーを組んでいたピッチャーであったらしいのですが、肝心の練習試合の記憶はないそうなんです。

それは、その試合の横浜高校のピッチャーが丹波選手で、憧れの選手とのバッテリーだったため、舞い上がってしまい覚えていないそうなんです。

試合後に丹波選手から「すごい良かったぞ」と言われてメチャクチャ嬉しかった事は覚えているということです。

当時横浜高校の下関係は厳しかったんですが、先輩連中は上地さんに暖かく接してくれ、丹波は後その中でもとびぬけて優しかったそうです。

これは上地さんの「愛されキャラ」のせいかもしれませんね。

丹波選手は成績も常に学年トップクラスでモデル並の容姿と長身(184cm)、野球は当然上手く、野球部ではチームのムードメーカー…というような絵にかいたような優等生でもあったそうです。

松坂大輔選手が入学した時「丹波さんみたいになれればいいな」と言っていたそうです。

非の打ちどころのない人物だったんですね。

突然の死

この丹波選手が突然この世から去ってしまったんです。

就寝中に突然心臓が止まってしまい、そのまま息を引き取ったそうです。

死因は心臓肥大による急性心筋梗塞。前日までごく普通に生活しており、当然入院していたわけでもなく、突然死でした。

突然チームの大黒柱を失った横浜高校は、戦力的なショックに加えて精神的なショックで、翌年のセンバツがかかる秋季大会の出場辞退も検討したらしいです。

その後新チームは奮起しセンターを守っていた松井光介選手(元ヤクルト)がピッチャーになり

春夏の甲子園に出場しています。

横浜高校の野球部・横浜高校長浜グラウンド脇には、丹波選手を偲ぶ石碑(レリーフ)が建てられていて

レリーフには投球する丹波の姿とともに「横高野球部に栄光あれ 信念 1995年夏 丹波慎也」と刻まれています。

兄 丹波幹雄

丹波選手には4歳上の兄幹雄さんがいます。

実は幹雄さんも横浜高校野球部でしたが肘を痛めて途中で退部しています。

しかし、丹波選手の死をきっかけに再度野球にチャレンジすることを決意。

クラブチームから1998年(松坂投手がドラフト1位指名された年)にドラフト最下位ながら

ヤクルトに指名され念願のプロ入りを果たしています。

プロ入り後は結果は残せませんでしたが

立派に弟の遺志を継いで自身の夢を果たした姿は見事です。

まとめ

「消えた天才」に登場予定の故丹波慎也さん。

将来を嘱望されながら17歳の若さでこの世の去らなければならないという事は

本人も無念だったろうと思いますが

その遺志は多くの人に受け継がれています。

それだけ丹波選手は偉大だったんですね。

明日の「消えた天才」楽しみです。

この文章を読んで頂いてありがとうございました。

 

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